高校野球が好きで、青春の汗や涙に何度も心を打たれてきました。
でも、今はその高校野球を心から応援できません。
広陵高校のいじめ問題。
いえ、いじめではなく『集団による暴行事件』です。
あの一件に対し、心を締めつけられるような苦しさを感じています。
なぜ謝罪がなかったのか。
なぜ退学させなかったのか。
なぜ出場を認めたのか。
私が当事者の親だったらどうしただろうか。
出場によって今後起こりえることも考えてみたいと思います。
事実関係と処分内容
事件内容
2025年1月下旬、広陵高校野球部の2年生4人が1年生に対し、寮内で胸ぐらをつかんだり頬を叩いたりする暴行があったと学校側が認めています。
被害者生徒は退学し、転校。
保護者は被害届を出しましたが、操作に進展がないまま広陵高校は甲子園出場。
SNSで発信をしていますが、現在主だった進展はない様子です。
処罰内容
学校は3月に高野連へ報告。
野球部全体に「厳重注意」、関与した4名には「1か月の公式戦出場停止(登校・部活禁止に近い措置)」を課し、その後も大会への出場は認められました。
高野連の判断基準
学校側が報告した内容以外に新たな事実がない、と高野連が確認したことを根拠に「大会出場を認める」と判断しています。
現時点の様子
2025年8月8日時点で、広陵高校は1回戦突破。
加害者とされる生徒の名前と顔写真、広陵高校野球部監督、高野連の役員の写真などがSNSで拡散されています。
広陵高校が勝ち進むことで起こりうる5つのデメリット
① 甲子園そのものの信頼が落ちる
高校野球が「教育の一環」として続けられてきた大義名分が揺らぎます。
「暴力を見逃す学校が栄光の舞台に立つの?」という世論の怒りは、すでにSNSでも拡散され炎上しています。
これが爆発的に広がれば、スポンサー離れや視聴率低下という経済的損失も招きます。
② 被害者側の二次被害が拡大する
加害者が甲子園で注目される一方で、被害者は「転校した側」「邪魔者」として取り扱われるようになります。
「証拠がなければおとがめなし」という泣き寝入り文化となり、未成年当事者にとっては、これが一生の傷・不信感になりかねません。
ただでさえ心身ともに傷つき絶望している中で、追及が起これば最悪の事態も起こりかねないのです。
③ 高野連の統治能力に対する疑念と批判が増大する
「暴力があっても出場OK」という今回の対応に、多くの保護者・教育関係者が疑問を抱いています。
今後、類似事件の判断基準が曖昧になり、統治機構としての正当性が問われる可能性が非常に高いと思います。
「そもそも高野連や高校野球がいるのか?」といった論争も巻き起こってもおかしくはない状況です。
④広陵高校にずっと悪名がつく
このまま進めば、「野球の強豪校」から「暴力を隠蔽してまで勝ちを優先する学校」という悪名が永久に残ります。
それは、広陵高校自身が一番失うものが大きいという現実です。
今までの数々の栄光も「実は昔から…」「暴力あっても隠して来たんじゃない?」などこの一件ですべてが疑わることにもなります。
⑤加害者に一生デジタルタトゥーとして残る
加害生徒だけでなく、監督やコーチ、高野連の役員名までさらされている時点で、今後どこに行っても検索すると名前と事件が表示され、進路や就職、結婚など人生において大事な節目に脱落し、居場所がなくなることも考えられます。
適切な処罰がなかったことで、大人になっても延々と人生に暗い影を落とし続けます。
そして、最悪この事態を憂いて命を絶つ人がでてくることがあれば、もはや何を守りたくてこの選択だったのか全く意味をなさなく成ります。
「教育」を掲げるなら、出場辞退は最低限のけじめだった
実際、過去には不祥事を理由に辞退した高校もたくさんあります。
でも今回の広陵高校のように、被害者が泣き寝入りし、加害者が甲子園に出て注目されているような状況は、
「泣いたもん負け」「勝ったもん勝ち」
と、子どもたちに誤ったメッセージを与えかねません。
殴られても守ってくれない、殴っても問題ない、そんな考えが広まる社会は健全といえるのでしょうか。
今、最悪の未来を回避できる唯一の道
今からでも間に合う「最小限のけじめ」を考えてみます。
→ これは一番重要な社会的メッセージになります。「教育と誠実さを優先する」という意思表示。
→ 暴力があった以上、学校として責任を取り、一定の処分を下すことは不可避。
→ 部内での暴力を未然に防げなかった責任、また出場を強行した倫理的責任を取る。
→ この判断を「正しい」と通してしまった組織そのものへの信頼は、刷新なしでは取り戻せません。
今はもう「昭和」じゃない
SNS、ネット報道、個人発信、AI検索…
真実は隠せない時代です。
昭和:隠してごまかす → 通用した
現在:隠すほど燃える → 社会的に焼かれる
広陵高校がこのことを本気で理解していれば、動くはず。
でも、今なお動かないのは「まともな大人がいない」からというのも、現実味を帯びています。
親としてのぞむこと
誰でも間違うことがあります。
しかし今回は傷害事件であり、「何もなかった」ことにできるものではありません。
加害生徒が野球がしたかったように、被害生徒もまた希望に滑を膨らませて入部し、甲子園を目指していたんです。
もしこれで適切な処罰がなければ、被害者・加害者ともに失うものが大きく、社会的復帰が望めなくなるかもしれないんです。
広陵高校にかぎらず、上下関係が生まれやすいスポーツの世界の中で、暴力のない世界を切望して止みません。
8/10追記)広陵高校が2回戦出場を辞退
広陵(広島)は10日、堀正和校長が甲子園球場の大会本部を訪問し、第107回全国高校野球選手権大会の第9日・津田学園(三重)との2回戦の出場を辞退すると発表。
堀正和校長が会見し、広陵は一連の騒動について
「事態を重く受け止め、本大会への出場を辞退したうえで、速やかに指導体制の抜本的な見直しを図ることにいたしました。現在、第三者委員会などで調査していただいている事案につきましては、全面的に協力してまいります」
とコメントした。
また、堀校長は広島県高野連の副会長を辞任する意向も示した。
これについてSNSでは、
最初から出場を辞退していれば、準優勝の高校が出場できたのに
一回戦で負けた高校がかわいそうすぎる
スマホを広島に置いてきた出場部員たち。
帰宅後、スマホで自分たちがどんな風に拡散され言及されているを考えると、今回出場したことが必ずしもいいことではなかったと知ることになるのでしょう。
取り返しのつかないことになったこと。
消せないデジタルタトゥーは一生背負う十字架のようなもの…、
誰も幸せにならないバッドエンド、このストーリーが必要だったのか?
大きな疑問が残る結果となりました。
おわりに
学校も高野連も「何事もなかったように」試合を進めてしまいました。
当事者が今回の出場で失ったもの、これから背負うものは、とても大きいものではないでしょうか。
でも、
それを黙って見ていない人がいること。
声を上げ続ける人がいること。
それが、次の不祥事の抑止につながる。
それが、未来の子どもたちを守る力になる。
声をあげるのは勇気がいります。
でも、今この状況を見過ごすことは、教育や未来の子どもたちへの裏切りだと私は思っています。
匿名でも、静かな声でも、今この社会に「おかしいよ」と言える大人がいること。
どうか当事者の大人たちが、長い目で見て子供たちにとって最善の道を示すことができますように。
一人の親として心から願っています。
心の浄化にいかがでしょうか